関連イベントの講演録 

関連イベントの講演録が、2009年3月に刊行されていました。
出版元が太宰府顕彰会のため一般書店では扱っていませんが、
太宰府天満宮(特に宝物殿の売店)では購入できると思います。
また、運が良ければ県立図書館で所蔵していることもあります。

香川県立図書館の蔵書検索結果から判断するに、
収録されたのは以下4つのイベントの模様です。

・「国宝 天神さま」開催記念トークショー(2008年9月28日)
・「天神さまの門前町」サミット(2008年9月28日)
・記念シンポジウム「天神さまと大宰府」(2008年10月4日)
・北野天神縁起絵巻シンポジウム(2008年10月25日)

……ん? 「天神さまマップ」で追加開催した分がない?
(2008年11月16日に開催された「天神さま研究所報告会」の事)
冊子化の話そのものが立ち消えになったのか、
きっちり編集して別に出すという意味なのか、その辺は不明です。

最初の2つは文字通りのイベントですが、残りは研究者が絡んでいます。
とりあえず目を通しておこうと思い、公立図書館で蔵書検索をすると、
市レベルはおろか、県レベルでも所蔵していませんでした。
県外からの越境取り寄せについて、近所の図書館で相談してみますか……。

黒と赤 

太宰府天満宮から博物館へは、
しばらく徒歩 → エスカレーター → 動く歩道 → 再び徒歩 と、
かなりの移動距離があります。

エスカレーターの入口


そのエスカレーターの入口に掲げられた看板を見て思ったのは、
「今回のテーマカラーは黒と赤らしい」という事。

意味する所、とっさに察しがつきました。
束帯(そくたい/貴族の正装)の隠喩だな、と。
上着が黒で、その下が紅というカラクリ。
図録も表紙が黒で、見返しが赤になっています。

この上着、平安時代は紫色だったのですが、
濃いほど高貴だからと濃さを追求するあまり、後世には黒色になってしまいました。

天神ジャック(その9) 

9/23の終電後、人海戦術でポスターを貼り替えたという今回の企画。
せっかくですので、天神ジャックについて、
7日分の広告費用が分かるものだけざっと試算してみました。

 ・コンコースフラッグ(6箇所)とホームフラッグ(24箇所):256万円
 ・アドスクリーン:103万円
 ・LEDシートセット:60万円
 ・アドピラー:120万円
 ・スペースアール:50万円
 ・黒版ポスター8連発:34万5600円
 ・エスカレーター壁面シート(中央階段エスカレーター横のポスター):40万円

合計663万5600円也。消費税(33万円強)は別途です。

沿線の駅や車内のポスター、吊り革の広告料は計算外ですし、
企画終了後も一部の広告は掲示を続けていましたので、
実際にはもっと経費が掛かっています。

一例を挙げれば、吊り革は3ヶ月契約で425万円。
2種類のデザインを採用した事による手間賃がさらに加算されます。

また、太宰府駅前には看板やのぼりを立てていました。

太宰府駅前の広告


主催とあって西鉄側がかなり「勉強した」とは思いますが、
残りの主催5法人(九州国立博物館・西日本新聞・太宰府天満宮・テレビ西日本・
九州放送)の負担割合はどの程度のものだったのでしょうか?

天神ジャック(その8) 

電車に乗ってしまえば、あとは時々吊り広告を見掛けるだけ、のはず。
しかし吊り手の根元まで宣伝仕様になっていました。

電車の吊り手


9月1日から会期末まで、ずっとこの状態だった模様です。

天神ジャック(その7) 

ホームの上に飽き足らず、広告は線路の上まで続きます。

レール上の広告


車止めの上に半円形の装飾を設け、その外側を広告スペースに。

鉄道事業の収益性を高めることを目的とした駅ナカの開発手法には
「広告枠の拡大」と「小規模商業施設の誘致」がありますが、
作ろうとさえ思えば、掲示スペースはいくらでも作れるものなのでした。

天神ジャック(その6) 

さていよいよ二日市(乗換駅)まで電車に乗って……と思いきや、
コンコースと同じポスターが、ホームにまでずらり。

乗車ホームの広告

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


乗車ホームに留まらず、到着ホームにもぶら下がっています。

到着ホームの広告

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


数えてみると、全部で6種類ありました。
これだけあったら、キャッチコピーを考える人も大変だったでしょうね。

天神ジャック(その5) 

ここまでさんざん引っ張って、ようやく問題の柱にたどり着きます。

太い円柱に巻き付けられているのは、
渡唐天神チックな束帯天神と近衛信尹の文字絵渡唐天神。広告の高さは3m。

改札側から見たピラー広告

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


脇には2種類のキャッチコピーが書かれ、さらに裏側には別の絵が。

束帯天神の裏には荏柄天神社の束帯天神立像、
文字絵天神の裏には道明寺の十一面観音

ホーム側から見たピラー広告

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


キャッチコピー曰く、「天神さまの顔は、ひとつじゃない」。
……いや、本当にその通りですね(首肯)。

天神ジャック(その4) 

程よく驚いたところで、改めて正面に向き直ると、
行先を表示する電光掲示板の上にも文字だけの広告が載っています。

改札側から見た電光掲示板

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


念のため裏側を見ると、念を押すように文字広告がもう一度。

ホーム側から見た電光掲示板

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


改札側から見ると「天神さまへ通りゃんせ。」、
ホームから見ると「天神の街へ通りゃんせ。」。

電車に乗って、天満宮のある太宰府へ(行って欲しい西鉄)。
電車を降りたら、そこは福岡市の繁華街・天神。
芸が非常に細かいです。

天神ジャック(その3) 

ポスターの横を通り過ぎ、今度はおもむろに振り向いてみます。
すると目に入るのは、こんな風景です。

改札の裏側

(撮影:偶然出張中だった知人某氏)


横長の1枚もの広告が、弧を描いて存在感を存分に発揮しています。
右側がメトロポリタン本で、左側が承久本の天神縁起絵巻ですね。

天神ジャック(その2) 

直進して改札まで来ると、何やら気になる柱が前方に見えます。

改札手前の風景

(撮影:しろくまさま)


しかし、ここでわざと左側を向くと、壁に黒版ポスターが8枚も貼られています。

まとめて貼られた黒ポスター

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


ここには異なるポスターを貼るのが普通なので、明らかにやり過ぎです(笑)。

天神ジャック(その1) 

9/24〜30、改札近辺からコンコースまで、
西鉄福岡(天神)駅が特別展の宣伝で埋め尽くされていました。
駅構内をひとつの広告で占領するこの手法、
広告業界では「ステーションジャック」と言うそうです。

特別展開催の2日目から実施するのは何とも中途半端ですが、
広告枠そのものが水曜日開始で設定されているためなのです。

期間中の週末、見に行くか真剣に悩んだのですが、
撮影された方がいらっしゃいましたので、順番に御紹介します。

まず、地上階からエスカレーターでコンコース階に上がります。
すると、いきなり天井に展示品を使ったポスターです。

改札階のコンコースフラッグ

(撮影:なぎ@晴れのち平安さま)


B0の紙を横に2枚ずつ並べています。サイズは縦が103cm、横が291cm。
近くでよく見ると、中央につなぎ目の線が見えます。

図柄は全部異なっており、キャッチコピーもそれぞれ別のものを使っています。

子供たちへの招待状 

福岡県内の小学生には、招待券が配られていました。
引率する親の来館を期待しての作戦です。
江戸時代に『菅原伝授手習鑑』を上演した時も、
寺子屋の生徒に招待券を配布して観客動員につなげていましたね。

招待券は絵馬の形をした2つ折りの紙で、
片方が濃い水色の招待券、もう片方がクリーム色の絵馬。
招待券は「天神さま学習帳」との引換券を兼ねています。

特別展会場の出口に、土産物売場がありますが、
その右側手前にこの絵馬を掛ける場所がありました。

会場の絵馬掛所


屈託のない文章を書いた彼ら、あと数年も経てば、
現実的なリクエストを書き連ねるべく、太宰府に戻ってくるのでしょうか。

紅梅殿跡地の実勢価格 

道真が長年住んでいた紅梅殿ですが、

 ・北は綾小路    =綾小路通(あやのこうじどおり)
 ・南は五条坊門小路 =仏光寺通(ぶっこうじどおり)
 ・東は町尻小路   =新町通 (しんまちどおり)
 ・西は西洞院大路  =西洞院通(にしのとういんどおり)

の一町(いっちょう)(120m四方)を占める、広大なものでした。
(場所が良く分からない方はWikipediaに掲載されている平安京図をご覧下さい。)

この敷地面積は大臣クラスの邸宅を意味します。
祖父清公の時代には、すでに邸を構えていたようですが、
清公も父是善も中級貴族ですので、本当はこの半分の面積でもおかしくありません。

しかも、南に隣接するもう一町(天神御所)も菅原氏が所有していたと思われ、
いつのまにそんなに土地を買い占めたのだろうと思う事があります。

綾西公園


さて、2009年になり、
敷地の西側にあたる綾西公園が、無事リニューアル工事を完了していました。
そこでふと気になったのが、この土地の価値はいくらなのかという事。

国土交通省の地価検索システムによると、
敷地東側に相当する「下京区新町通綾小路下る船鉾町388番」の
2009年1月における公示価格が、1平方メートルあたり41万6千円。
これに120m×120m=14,400平方メートルを掛けた結果は、
5,990,400,000円=60億円!?(←衝撃のあまり倒れそうになる)

土地というのは恐ろしいものです。

渡唐天神(その4) 

渡唐天神は絵と文章の組み合わせで構成されますが、
文字を読み解くのが結構大変なので、絵だけ見てみると、
いくつかのバリエーションがあることに気がつきます。

・初期型:真正面を向き、体の正面みぞおちのあたりで手を組む。
     袈裟袋と梅の枝は体の右側に置き、足元には白い足袋を履く。
 (渡辺美術館(鳥取市)が所蔵する南北朝時代のものは手を組む位置が
  若干ずれていますが、足袋とずんぐり体型から見て初期型と思われます。)

・梅と松の間に座らせる雪舟スタイル
 (雪舟のものは、1/25まで千葉市美術館の特別展「雪舟と水墨画」に出ています)

・冠ではなく頭巾をかぶって横方向に歩く、携帯可能なサイズの祥啓(しょうけい)派
 (赤ずきんちゃんに見えるのは気のせいでしょうか……。)

・手の位置を腰の高さまで下げ、正面を向いたまま両腕のみ左側にねじる狩野派

・近衛信尹や白隠の文字絵

・頭身が伸びて全身でAラインを描き、白い帯を垂らし、靴を履き、
 体の左側に梅を置く中国製
 (今回展示されている76がそれですが、体の中心で手を組まない点など、
  基本形とはかなり異なっており、湯島天神所蔵のものの原画と思われます。
  『天神さまの美術』図録142頁の104が王道の図柄。)


今回展示されなかったものには、他にこのような系統があります。

・裙(くん)(丈の長いスカート)と靴を履き、上着をはおり、袈裟袋は体の左側、
 右脇に回した左袖に右袖をかぶせ、右手で持つ梅の枝を左腕の上に置くもの
 (『天神さまの美術』図録141頁の102)

・風を背中で受けながら、梅の枝に顔を近づけて香りを嗅ぐもの
 (『天神さまの美術』図録145頁の109)

・袈裟を袋に入れず、実際に羽織っているもの
 (京都国立博物館に1点あるだけと聞いていましたが、
  東北歴史博物館が所蔵する小池曲江のものもまさにこれです)

これだけ多様性に富んでいると、往昔はひどく普及していたようですね。
個人的にはかの武田信玄が模写したという一蓮寺(甲府市)のものが見てみたいです。

渡唐天神(その3) 

天神が無準師範のもとを訪れたのは仁治2(1241)年12月18日といいますが、
それから30年が経過した文永8(1271)年10月1日、
天神は博多承天寺(しょうてんじ)にいた円爾の弟子、
鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)の前に現れます。
そして件の袈裟を安置して欲しいとの言葉と共に、袈裟を残して消えました。

10月25日、円心は大宰府の自分が生まれた場所に僧房を結び、
伝衣塔を建てて袈裟を安置しました。これが現在の光明禅寺の由緒となります。

渡唐天神(その2) 

さて南宋は径山(きんざん)興聖万寿禅寺(こうしょうまんじゅぜんじ)。
海の向こうでそんなやり取りがあったとは知る由もない無準師範。
朝起きてみると、昨日まではなかったはずの草が庭に生えています。
いぶかしんでいると、梅の枝を手にした人物が突然目の前に現れました。

「どなた様ですか?」
彼は無言で庭に生えた草を指さしました。

禅の高僧だけあって、無準はとっさに状況を理解しました。
(この草は日本でいうところの菅(すげ)、日本の菅神であろう……。)
円爾の意見を聞き、天神は早速無準のもとを訪れたようです。

天神は無準の前にひざまづき、梅の枝と共に和歌1首を捧げます。

  唐衣(からころも)織らで北野の神ぞとは 袖に持ちたる梅の一枝(ひとえだ)

無準は弟子入りの証として、天神に袈裟(けさ)と偈(げ)を与えました。

渡唐天神(その1) 

仙冠道服という、ゆったりとした中国風の衣装に頭巾と冠をかぶり、手には梅の枝。
平安貴族らしい束帯姿とは遠くかけ離れた格好ですが、これも天神さまの姿です。

渡唐天神立像

(写真提供:九州国立博物館)


水鏡天満宮蔵の渡唐天神立像(78)。
彫刻タイプのものは珍しいのですが、福岡天神の名前の由来となった神社にあり、
飛梅を材料に作られた像ということで、大々的にネタにされていました。

中国に渡った天神さまの物語は、基本テキストである
『両聖記(りょうせいき)』『天神伝衣記(てんじんでんえき)』
『菅神入宋授衣記(かんしんにっそうじゅえき)』の他、
瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』や
太極(たいきょく)の『碧山日録(へきざんにちろく)』といった、
室町時代の臨済宗のお坊さんの日記にも記載があります。
それはこんなお話です。

大宰府に住む富豪の夢枕に天神が立ち、こう告げました。
「戒律を遵守している僧を集め、法華経を読ませて欲しい」。
富豪は言われた通りにしましたが、
「人数が足らない」と夢で天神からダメ出しを受けてしまいます。

困った富豪は、当時南宋から帰国して博多にいた聖一国師(しょういちこくし)こと
円爾(えんに)(1202〜1280)に相談します。
彼は水晶の数珠を10個(または100個)用意するよう答えました。

数珠を部屋の回りに掛け、円爾自身は部屋の中央に座ります。
水晶の数珠の一つ一つに自分の姿を映して法華経を読む事で、
天神の求める頭数の僧侶を確保するというアイデアです。

満足した天神は、円爾のもとを訪れ、弟子にして欲しいと頼みました。
しかし円爾は自分の師匠である無準師範(ぶしゅんしばん)(1178〜1249)
への弟子入りを勧めました。

新撰万葉集 

別名『菅家万葉集』。全2巻。

新撰万葉集

(写真提供:九州国立博物館)


宇多天皇の母、班子女王が主催した寛平御時后宮歌合
(かんぴょうのおんとき きさいのみやのうたあわせ)や
宇多天皇の同母兄が主催した是貞親王家歌合(これさだしんのうけうたあわせ)
の席で詠まれた和歌を中心に編纂されています。
この歌合での歌は、初の勅撰和歌集である『古今和歌集』にも採録されており、
それに先行するものと言えます。

寛平御時后宮歌合

(写真提供:九州国立博物館)


10/19まで展示された東京国立博物館蔵の十巻本『寛平御時后宮歌合』(13)冒頭部。
国宝です。

同時期に成立した大江千里(おおえのちさと)の『句題和歌(くだいわか)』は、
漢詩の句を和歌に翻案したものですが、『新撰万葉集』はその逆を行きます。
まず元となる和歌を、仮名書きからわざわざ万葉仮名表記に直して書き、
内容を踏まえて作られた七言絶句が添えられています。

これが展示されていたのは、編者は道真だと古くから言われてきたため。
もっとも、下巻は序文に「延喜十三(913)年」と明記されており、
後人の手によることは容易に判明します。
ところが、上巻の序文に「寛平五載(893)秋九月廿五日」とあるために、
上巻の編者は誰なのか、という問題が生じました。

さらに話を複雑にするのが、その序文の記述。

「『先生』は和歌を賞賛するだけでなく、絶句一首を和歌数首に添えた」

とあり、文字通りに取れば、
和歌を漢詩に翻訳するというアイデアを最初に出した人物は、
序文の編者ではないということになってしまいます。
しかも和歌数首に対して絶句1首であり、現在の一対一の関係ではありません。

「先生」=道真なのか、それとも「先生」は別人で、序文の作者が道真なのか。

当代随一の文人としての地位を不動のものにしていた道真が、
自分で編纂した書物の序文を他人に任せるとは到底考えられないので、
道真の周辺の人々が作ったものではないか、というのが一つの見解です。
漢詩の中には道真が(座興で?)訳したものもあるでしょう。

菅原道真と観音信仰 

「神様の特別展なのに、どうして仏像が出ているの?」という素朴な疑問。

道真作という伝承を前面に押し出して展示した道明寺のみならず、
鎌倉・神武寺(68)、佐賀・大興善寺(88)からも十一面観音像が搬入されており、
会期を通じて会場に座っておられたので、不思議に思う方も少なくなかったようです。

ところが、これらの仏様、実は明治初頭まで、
神武寺の観音像は荏柄天神社、大興善寺の観音像は太宰府天満宮に、
それぞれ天神の本地仏として安置されていました。

荏柄天神社の天神像3点セット

(写真提供:九州国立博物館)

左から順に、荏柄天神社の立像(67)・坐像(66)・神武寺の十一面観音像(68)。
本来の形に沿って並べ直すと、このような形になります。
右端は大興善寺の十一面観音像(88)。

その前提となる神仏習合については十一面観音で触れましたので、
今度は道真本人の観音信仰のルーツについて書こうと思います。

図録145ページでも触れられていますが、道真は熱心な仏教信者でした。
仏像を造り、写経に励み、
宿願叶って菅原家の仏事たる吉祥悔過(きちじょうげか)の月に亡くなった祖父、
病床においても念仏読経を怠らず、吉祥悔過についてのみ遺言を残した父、
危篤に陥った幼い息子の命を救うべく観音像を造る事を発願(ほつがん)した母。

母親は臨終の席で道真に告げました。
生死の淵をさまよったそなたが今生きているのもひとえに観音菩薩のおかげ、
自分が果たせなかった観音像造立の誓いを果たして欲しい、と。

その後、道真は費用を工面するため節制に励みました。
その間に父親も亡くなり、
父親の遺品である妙法蓮華経と母親の遺言に従って造った観音菩薩像を前に、
ひとり法華八講(ほっけはっこう)の日を迎えました。
母親の死から9年9ヶ月後、37歳の時の話です。

道真と仏教の話を書くと非常に長くなってしまうので詳しくは述べませんが、
母親から受け継いだ観音信仰は、大宰府においても途絶える事はありませんでした。

最晩年の漢詩の中でも、衰・老・病の後に必ず訪れる死を前に、
あらゆる災厄から人を救うとされる観音の力にすがろうとして
観音経(法華経普門品)を唱える自己の姿を描いています。

謎のクリアファイル 

ミニサイズのクリアファイルは以下の2種類です。

 ・41「松崎天神縁起絵巻」より巻2「紅梅別離」(写真右)
 ・47「天満宮縁起画伝(泊守治筆)」より第7幅「針摺峠(はりすりとうげ)」
    (写真左)

ミニクリアファイル2種類


「針摺峠」は筑紫野市にある地名です。
その由来は、道真が天拝山に通う途中、
金棒(斧とも)を砥石で磨いて針にしようとする老人に出会い、
自分の至らなさを痛感したこと。図では馬ならぬ牛に乗っています。

ところが、滋賀県彦根市の郊外にも「摺針峠(すりはりとうげ)」があり、
道真ではなく弘法大師空海を主人公に、同じ話が伝わっています。

色の異なる部分で折り返す(触ると分かる折り線が入っている)ので、
使用時のサイズは横21.5cm×縦12.5cm。

このファイル、問題はどう使うモノなのかという点。
A4用紙を入れてみると、微妙に幅が足らず、紙が波打ってしまいます。

ミニクリアファイルにA4用紙を挿入


このまま強引に使うと中の紙が傷んでしまい、ケースの意味をなしません。

それでは、チケットホルダーでしょうか?

ミニクリアファイルにチケットを載せる


幅は問題ありませんが、無意味に高さがあります。

そして色々試してみて、高さも幅もジャストフィットだと判明したのがこれ。

ミニクリアファイルに振込用紙を載せる


……コンビニの振込用紙(笑)。天神さまの御神徳で払い忘れを予防できそう?

一筆箋やハガキも入るので、切手と一緒に携帯用お手紙セットを作ることも可能ですが、
本当は何を入れたいケースなのか、真相は薮の中です。

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。