渡唐天神(その1) 

仙冠道服という、ゆったりとした中国風の衣装に頭巾と冠をかぶり、手には梅の枝。
平安貴族らしい束帯姿とは遠くかけ離れた格好ですが、これも天神さまの姿です。

渡唐天神立像

(写真提供:九州国立博物館)


水鏡天満宮蔵の渡唐天神立像(78)。
彫刻タイプのものは珍しいのですが、福岡天神の名前の由来となった神社にあり、
飛梅を材料に作られた像ということで、大々的にネタにされていました。

中国に渡った天神さまの物語は、基本テキストである
『両聖記(りょうせいき)』『天神伝衣記(てんじんでんえき)』
『菅神入宋授衣記(かんしんにっそうじゅえき)』の他、
瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』や
太極(たいきょく)の『碧山日録(へきざんにちろく)』といった、
室町時代の臨済宗のお坊さんの日記にも記載があります。
それはこんなお話です。

大宰府に住む富豪の夢枕に天神が立ち、こう告げました。
「戒律を遵守している僧を集め、法華経を読ませて欲しい」。
富豪は言われた通りにしましたが、
「人数が足らない」と夢で天神からダメ出しを受けてしまいます。

困った富豪は、当時南宋から帰国して博多にいた聖一国師(しょういちこくし)こと
円爾(えんに)(1202〜1280)に相談します。
彼は水晶の数珠を10個(または100個)用意するよう答えました。

数珠を部屋の回りに掛け、円爾自身は部屋の中央に座ります。
水晶の数珠の一つ一つに自分の姿を映して法華経を読む事で、
天神の求める頭数の僧侶を確保するというアイデアです。

満足した天神は、円爾のもとを訪れ、弟子にして欲しいと頼みました。
しかし円爾は自分の師匠である無準師範(ぶしゅんしばん)(1178〜1249)
への弟子入りを勧めました。

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