新撰万葉集 

別名『菅家万葉集』。全2巻。

新撰万葉集

(写真提供:九州国立博物館)


宇多天皇の母、班子女王が主催した寛平御時后宮歌合
(かんぴょうのおんとき きさいのみやのうたあわせ)や
宇多天皇の同母兄が主催した是貞親王家歌合(これさだしんのうけうたあわせ)
の席で詠まれた和歌を中心に編纂されています。
この歌合での歌は、初の勅撰和歌集である『古今和歌集』にも採録されており、
それに先行するものと言えます。

寛平御時后宮歌合

(写真提供:九州国立博物館)


10/19まで展示された東京国立博物館蔵の十巻本『寛平御時后宮歌合』(13)冒頭部。
国宝です。

同時期に成立した大江千里(おおえのちさと)の『句題和歌(くだいわか)』は、
漢詩の句を和歌に翻案したものですが、『新撰万葉集』はその逆を行きます。
まず元となる和歌を、仮名書きからわざわざ万葉仮名表記に直して書き、
内容を踏まえて作られた七言絶句が添えられています。

これが展示されていたのは、編者は道真だと古くから言われてきたため。
もっとも、下巻は序文に「延喜十三(913)年」と明記されており、
後人の手によることは容易に判明します。
ところが、上巻の序文に「寛平五載(893)秋九月廿五日」とあるために、
上巻の編者は誰なのか、という問題が生じました。

さらに話を複雑にするのが、その序文の記述。

「『先生』は和歌を賞賛するだけでなく、絶句一首を和歌数首に添えた」

とあり、文字通りに取れば、
和歌を漢詩に翻訳するというアイデアを最初に出した人物は、
序文の編者ではないということになってしまいます。
しかも和歌数首に対して絶句1首であり、現在の一対一の関係ではありません。

「先生」=道真なのか、それとも「先生」は別人で、序文の作者が道真なのか。

当代随一の文人としての地位を不動のものにしていた道真が、
自分で編纂した書物の序文を他人に任せるとは到底考えられないので、
道真の周辺の人々が作ったものではないか、というのが一つの見解です。
漢詩の中には道真が(座興で?)訳したものもあるでしょう。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。