923年、皇太子保明(やすあきら)親王と時期を同じくして、
源公忠(みなもとのきみただ)という人物が急死しました。
ところが、彼は2〜3日後に息を吹き返し、「内裏に連れて行け!」と口走りました。
息子2人は訳の分からないまま父親と共に内裏に参上したところ、
公忠が醍醐天皇に報告した内容は、恐るべきものでした。
「冥府(めいふ)にたどり着いたところ、
束帯姿の大男が黄金の文ばさみを手に、陛下の非道を切々と訴えておりました。
30人あまり役人が居並ぶ中、その内のひとりが薄笑いを浮かべて、
『今の帝は愚か者ですが、改元でもしたらどうしましょうか?』と口にしたのです。」
「束帯姿の大男」が道真だと察した醍醐天皇は恐れおののき、
道真を右大臣に戻し、正二位(しょうにい)を追贈しました。
さらには道真を左遷した時の詔書を焼き払い、
「延喜(えんぎ)」から「延長(えんちょう)」へと改元しました。

(特別展図録より転載)
階(きざはし)に登り、顔を伏せたまま事の次第を奏上する公忠。
左上隅では、普段着姿の醍醐天皇が不安気な表情で聞き入っています。
公忠が急死した話は虚構かも知れませんが、醍醐天皇の取った行動は史実です。
愛息保明親王の死が、道真の祟(たた)りによるものだと世間は噂しました。
詔(みことのり)から年号まで、道真の左遷につながるものを一掃し、
保明親王の息子を皇太子に据えましたが、
新皇太子も2年後にあえなく亡くなってしまいます。
そしてさらに5年が経過した年の晩夏、未曾有の椿事が宮中を襲います。

