これは必見!(その12) 

37「北野天神縁起絵巻(承久本)」 (4)巻6「時平病臥」

源氏との共闘で道真を政界から追い落とした左大臣藤原時平(ときひら)ですが、
それからわずか8年後、909年4月4日に39歳の壮年で亡くなってしまいます。

普通に長生きしていれば、政治家としてそれなりの評価を受けられたところ、
摂関家の本流は同母弟忠平(ただひら)に奪われ、
道真左遷の首謀者として責任を一身に背負わされ、
今なおただの悪役扱いで、割に合わない人生になってしまいました。

承久本・時平病臥

(写真提供:九州国立博物館)


ここに描かれたのは、その時平が亡くなった日の話です。

投薬治療も祈祷も効果がないので、時平は三善清行(みよしのきよゆき)の息子である
浄蔵(じょうぞう)を呼び、祈祷を行わせました。

昼過ぎに清行が見舞いに訪れると、時平の両耳から蛇が首をもたげています。

承久本・時平病臥

(特別展図録より転載)


画面右端に座すのは三善清行。右下隅で祈っている僧侶が浄蔵。
相対して病床に臥す時平の両耳には蛇の姿が描かれています。

蛇は清行の姿を認めた途端、こう一喝しました。

「帝釈天に怨敵(おんてき)を討つ許しを得たというのに、
 貴殿は息子に私を調伏(ちょうぶく)させる気か!」

清行は慌てふためき、別室にいた浄蔵に祈祷を中止するよう伝えました。
(絵巻では同席していますが、護摩壇を使うため別の場所になります。)
浄蔵が席を立った途端、時平は息絶えてしまいました。

甥の皇太子保明(やすあきら)親王は21歳で急死。
孫の皇太子慶頼(よしより)王は5歳で夭折。
長男の八条大納言・保忠(やすただ)は47歳、
三男の枇杷(びわ)中納言・敦忠(あつただ)は38歳で早世し、
長寿を誇ったのは、質素な生活に徹した
次男の富小路(とみのこうじ)右大臣・顕忠(あきただ)ばかりで、
本院(ほんいん)の血筋は時代に埋没しました。
この辺の話は『大鏡』に詳しく述べられていますので、
関心を持たれた方はご一読下さい。天神縁起の元ネタの一部になっています。



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