これは必見!(その22) 

77「文字絵渡唐天神像」

本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)・松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とセットで
「寛永(かんえい)の三筆」と称される能書家にして公家、
三藐院(さんみゃくいん)こと近衛信尹(このえのぶただ)(1565〜1614)の作です。
左下隅の筆を取り落としたような跡は、書き損じではなく作者のサインです。

文字絵渡唐天神像

(写真提供:九州国立博物館)


今回展示されるのは、1610年に描かれ、北野天満宮が所蔵するものですが、
同様の絵があまりに数多く存在するので、
「一家に一台」ならぬ「一社に一枚」あるのではないかと評された事もあります。

信尹には、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵に賛同して肥前に出兵したことが原因で
後陽成天皇の逆鱗に触れて薩摩坊津(ぼうのつ)に配流された時期があり、
それが制作のバックボーンにあるとも言われています。

彼の渡唐天神像が他のものと大きく異なるのは、その図様にあります。
冠を「天」、衣を「神」の字で見立てた墨一色の文字絵になっています。
裏を返せば、こんなにシンプルな描線だからこそ、大量に描けたとも言えます。

上に書かれた文章は、
「唐衣(からころも)折らで北野の神とぞは 袖に持ちたる梅にても知れ」という、
天神が無準師範(ぶしゅんしばん)に対して詠んだとされる
渡唐天神説話につきものの和歌です。
この和歌に従い、渡唐天神は梅の枝を持った姿で描かれるのが基本ですが、
なぜか三藐院は枝を持たせていませんね。

文字絵の渡唐天神には、
臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(はくいんえかく)(1686〜1769)による
「南無天満大自在天神」バージョンもあります。
こちらはちゃんと梅の枝を持っています。