道明寺(どうみょうじ)(大阪府藤井寺市)蔵。国宝。
平安時代初期(9世紀初頭)、
一本の木から彫り出す一木造(いちぼくづくり)の手法で作られました。
会場では道真が作ったと説明されていますが、
前の世代の人間が発願してプロに彫らせたものでしょう。
完成度は非常に高く、仏像マニア御用達の奈良国立博物館あたりで
観音像の特別展を開いたら、まず個別にオファーが掛かると思います。

(写真提供:九州国立博物館)
これが道真展を開くたびに目玉として登場する理由は、2つあります。
ひとつは、天神の本地仏(ほんちぶつ)が十一面観音菩薩とされること。
奈良時代末期から明治時代初頭まで、
日本の神々はさまざまな仏が別の姿で現れたものとされてきました。
これが本地垂迹(ほんちすいじゃく)説で、
おおもとの仏を本地仏と呼びます。
天神の本地は文殊(もんじゅ)菩薩だとされたこともありましたが、
比較的早い時期から観音菩薩の化身と見なされてきました。
ただ、なぜ観音の中でも十一面なのか、という問いに対して
明快な解答を打ち出した人はいなかったと思います。
そして道明寺が菅原氏の氏寺であること。
もともと、この寺は土師寺(はじでら)という名前で、
土師(はじ)氏によって飛鳥時代に建立されました。
その土師氏の一支流が菅原氏です。
奈良時代末期、桓武(かんむ)天皇の時代に、
道真の曾祖父らの申請によって改姓しました。
当時一族が住んでいた地名「菅原(すがはら)」に由来しますが、
現在でも、奈良市内にその名前は残っています。
菅原氏の氏寺としてはもう一つ、
平安京郊外の吉祥院(きっしょういん)がありますが、
こちらは道真の父親の代に建てられたので、
時代はぐっと下がります。
明治の神仏分離令を受け、道明寺は神社と寺院に分離しました。
両者合わせての規模も、往事よりはずっと小さくなっています。

十一面観音そのものは毎月18日に一般公開されていますが、
厨子(ずし)の中だと、なかなか細かい部分までは見えないもの。
仏像を心ゆくまで鑑賞できるのは、博物館のメリットです。
ただ、今回は背中の壁が半円形になっているので、
背中側がほとんど見えませんでした。それが残念なところです。